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仏様との暮らしから―

仏様と暮らす生活から感じた事を、
書き留めていこうと思います 


 初七日を過ごし、感じた事があります。葬儀が終わった後、仮のお位牌と遺影、お骨を台の上に置いて祭壇を作っています。初七日の1週間は毎日ご飯を新しくしてお供えします。この意味ってナンだろう?私は仏様のためだけではないように思います。食べる事さえ忘れる程の疲労と悲しみにある家族に、食事を取るという当たり前の大切な事を忘れさせないためのものでは???毎日仏様の為にご飯を炊けば、必ず自分達の分も残る、だから食べるようになる。ご飯をお供えするというのは、残された者への愛のある作法なのだと感じました。 6月21日(日)


 母が亡くなり3週間、4回目の一週間を木曜日に迎えます。仏事では7という数字が大切で、亡くなった日から7日を基準に仏事を執り行います。一回目の7日は、毎日ご飯とお団子を取り替えて捧げ、2週間目が始まると7日の倍数日に祭壇を整えるようにします。もちろん、時間と心があって毎日お供えを取り替えて差し上げるのが良いのでしょうが、とりあえず7の倍数日にきちんとしていれば問題ないようです。  6月30日(火)



    
 市場ではお盆用品が売られ始めています。東京のお盆は7月の盂蘭盆会ですね。7月に入るとご先祖様のお迎えの準備を始めるお宅も多いと思います。元気に外を飛び回っていた年頃の私にとっては、こんな行事は他人事でしたが、これからは自身の癒しのひと時になっていきそうです。私も、仏様を身近に持つようになって、心が少し丸くなってきたような感じ。この半年の間に亡くなった叔父達も含め、3人の魂を思う日々。人の人生って何だろう、一人の人間を完全に知ることは出来ないな。母親だって私の知らない側面が沢山あったんだから。一人の人を知った気になることの傲慢さに気づき、これからの私の中に改まるものがあるでしょう。 6月3日(金) 


 お花もこの妙な天候で日持ちの悪さが気になってきます。こんなうっとうしい時期だからこそお花を飾っていたいものですが。年齢のためか、冠婚葬祭の【葬】に係わる事が多くなり、そこで感じる事は、仏事にもいつも花は寄り添っている。花と人間って、コレちょっと、考えているより並みな関係じゃないですよ。花は誰より何より私達の傍にある、そっと手に取り上げることの出来る【自然】だからでしょうか。【ちぎりえ発祥の研究】もいいのですが、この【花と人間の生活の営み】についての研究も意義あるものかもしれない。
 半年に何人もの仏様を見送ってきて、今までピンとこなかった【魂】という言葉に腑が落ちる。もともと【魂】なんてものは無いのかもしれないけれど、意識に上る事が、すなわち【存在】することになるとしたら。亡くなった人が心の中で生きる(存在する)ということもアリかと思う。その魂の部分に花が大きく係わっていそうな気がするんだ。  7月4日(土) 


 昨日は母が亡くなって35日。7の倍数で全て数えるんですね。ご近所の方がお線香をあげにいらして下さいました。母が亡くなった後も、実家におまいりに来て下さる方が沢山。生前の母の日常がしのばれて、人と上手に係わって生きてきた人だったんだな、と感じます。人の存在って、肉体が無くなっても人の心の中に在るのですね。今の私は、肉体を持った母の姿が見たいし、声が聞きたいし、肌にも触れたい。やっぱり身体があって欲しいと思ってしまいますが、時間が経つと心の中の母の存在の方が、より実感出来るようになってくるんでしょうか。理屈では解からない、これから何かが解かってくるんでしょうね。   7月16日(木)


 今日で、母が亡くなり6週間目が終わります。週末に四十九日法会を行ないます。納骨の儀式が行なわれ、これで魂がすっかりこの世から離れる事になります。仏になる…という事ですね。この49日から、不祝儀タトウは、御霊前からご仏前に変わります。
 仏様のお世話をするようになると、回りの方たちがどれだけ仏様を気にかけてくれていたかが解かります。お骨のあるうちに、と言ってお線香を上げてくれたり、35日だからといってお供えを届けてくれたり、私が知らなかった仏様への配慮が世間で行われている事を学びます。若いうち、仏様を持たないうちは知らなくていい、生活の中の作法。日本の文化は奥深いなと思います。
 お焼香で手を合わせる時、心の中で思い浮かぶ事は、感謝なのかお詫びなのか。人にどうしても伝えたいという事柄を大まかに分けると、このふたつなんじゃないかと最近思います。母に手を合わせてくれている人が、お骨を前にどうしても伝えておきたい事、後姿をそんな風に眺めます。 7月22日(水)


昨日、四十九日の法要が終り、少しほっとしています。この一ヶ月走り続けてきた感じがします。実際の7×7日は7月29日なので、もう少し先になります。その日以降に、母が亡くなってから頂いたお香典等の弔意に対するお礼を送るようになります。一般にお香典返しと呼ばれるものです。四十九日が終わってすぐに送るのはまるで準備していたようで、私には興ざめて感じるので、少し日数をずらして発送しようと考えています。
 昨日の法要を終えて、母の魂が【仏になり浄土に行く】ことが出来たという訳です。仮のお位牌から、本当のお位牌に変わり、家に帰ってから用意していたお仏壇に家族4人で納めました。安堵の心とあいまって、遺族の心の中にぽっかりと穴が空くように感じられる瞬間でもありますね。
 こうやって進んでいく仏事は、大事な人の存在を失った遺族の心を癒すしつらえともいえるでしょう。愛のある行事の数々、昔の人の知恵が現代も息づいているんですね。


 8月に入るとお盆の季節。亡くなった方を偲ぶ一ヶ月。子供の頃、母の生れ故郷の能登によく遊びに行きましたが、親戚の何所を回ってもお線香の香りが家中に漂っていた事を思い出します。茄子ときゅうりをサイコロ上にカットした物と、白玉状のお団子を蓮の葉に乗せて置いてあるのを面白く眺めたものです。私は、帝釈天のご住職が持っている幼稚園に通っていたので、仏教の行事がそのまま園の行事として教えられました。お盆の頃になると茄子の牛と胡瓜の馬を子供達が作って祭壇に並べました。夜はボンボリに灯を入れて歩いたりとか、今思うと素敵な体験をしていた物です。本当に死者の魂がこの世に帰ってくるかどうかは別の話としても、こんな行事を考え因習として続けている事が素敵だと思います。
 ちなみに神の国、バリに行くと、365日毎日死者の魂を感じながら過ごす生活習慣となっています。アジアの共通点を感じる瞬間。供物の捧げ方など大変良く似ています。8月3日(月)

お盆初日13日、今朝お寺で提灯に灯を入れて頂き、仏様を家に連れて帰ってきました。これからこの提灯の灯を絶やさないように過ごすのだそうです。こんな風習が都内でもまだ残っているのは素敵な事です。仏様を持って初めて知る風習、因習。誰かがどこかで作ったものなんでしょうが、癒されるものです。古人の智慧なんでしょうね。 8月13日(木)


 母の新盆も無事に終え、大きな行事はひとまずこれで一段落となりました。陰で支えてくれていたお友達に感謝します。きっとこのブログで見守ってくれていた友人も多いと思います。ありがとう。不思議なもので、この時期になって、何故だか母の居ない事が実感され、無性に寂しさが深まりました。もう一度会いたいなぁ、過去にしてしまうには、あまりにも懐かしかった思い出が多すぎる。
 昨日、【硫黄島からの手紙】をテレビで放映していましたね。ロードショーでも観ていたのですが、もう一回観ました。米軍の兵士が母の手紙を手にしながら亡くなったシーンがありました。手紙に書かれていた内容は、子供の無事を祈る母の言葉。国が違っても変わらない普遍的な人の心が確かに在るのです。一番大切な事です。  8月16日(日)


 誕生日と言えば、25日は亡母の誕生日。誕生日もね、命があるから迎えられるもので、それはそれで奇跡なんですよね。誕生日は自分がお祝いしてもらうのではなく、生んでくれたお母さんに感謝をする日でもある。母親にとっては、自分の命に替えて産み落とした我が子の誕生の日、自分への記念日でもある筈ですね。無事に育ってくれている事を確認する日、亡母はどんな思いで子供達の誕生日を祝ってくれたんだろう。自分へのご褒美の日だったかもしれない、ここまで育てましたって。母が亡くなってから、母を感じる事が増えてきて、生きているうちに母という人物をもっと知っておきたかったなんて思います。 10月19日(月)


昨日は、小学校1~2年の担任の先生にお会いしてきました。私の住んでいるところから、駅二つ先。近くに居るのになかなかお伺いできなくて。今回、喪中ハガキを出したところ、お返事がきてお元気であることが解ったので、思い切って電話。生前 母が、「近くに住んでいるんだから、先生にご挨拶に行きなさい」と何度も言っていたのを思い出して。
 99歳になっておいででした。母のことも良く覚えていて下さった。何冊かアルバムが用意してあり、最初に選んだアルバムを無意識に開いたところ、そこに当時のPTAの集合写真が!!!!!!! 37歳の母が写っているではありませんか。おそらく母が写っているものは、何冊か在るアルバムの中で、先生個人のお写真に混ざってその一枚しかなかったと思います。こんな偶然、不思議なこともあるものでしょう、母が一緒に先生のお宅についてきたと思いました。
 今の私より10歳も年下の母。先生を前列中央に囲んで、15人ほどの父兄が並ぶ中、後列右から2番目まじめにきちんとした姿勢で写っていました。細かい模様が入ったワンピースを着て、まだまだ可愛い感じのする母でした。私は長女だったので、何をするにも初めて、きっと一生懸命子育てしていたんでしょうね。石川県から出てきて頼る人の無かった実母は、先生を母のように慕ってPTAの仕事をして居たのだと思います。
 先生との時間はまるで、一時止まっていたかのように感じました。99歳、思い切って足を運んで良かった、先生お元気で。また、会いに行きますね。  11月29日(日)



実は何を隠そう、この一週間の間に、私の誕生日がありました!
誕生日は何がおめでたいかっていうと、本人が年をとる事に非ず。誕生日は母が命をかけて私をこの世に送り出した日という母の勇気に感謝する日であります。お産の事情もまだまだ整っていなかった昭和37年、10ヶ月おなかの中で育てて、出産予定日直前まで、普通に動いていたために破水して、慌てて産院へ。石川県から一人で出てきた東京で、どんなに心細かったでしょう。よく頑張って私を産んで下さいました。そして、あなたの産んだ私は、こんなに今幸せに暮らしてます。産まれてきて良かったと思っています。47年前の12月19日、午前零時半、「八栄子さん、元気な女の子ですよ。よく頑張りましたね!」 きっとそう言われて、助産婦さんに抱かれた私を見せてもらい、出産という女性だけが感じる事の出来る大きな幸せに満ち溢れた瞬間を味わったのでしょう。 
 土曜日の19日は、友人夫婦3組と一緒にバースデーを祝いました。それだけではなくて、贈り物も沢山宅急便で届きました。メッセージもメールやポストカードで沢山届きました。一人で生きているのではない事を、教えてもらいました。身の回りのすべての方に ありがとう、ありがとう。  12月22日(火)


 昨日は、お花のご注文の連絡が沢山ありました。あまりにも一度に連絡があったので、ちょっと不思議なくらいでした。年が明けて2ヶ月は、自分の創作活動に時間を使いたくて、最低限のお仕事しか出来ないから、あまり注文が入りませんようにと思っていたら、それなりに最低限のお仕事しか入ってきませんでした。ところが、3月になって、心に少し余裕が出来たと思った途端、ご注文の連絡が殺到!みんな、私の事解っていたのかな、待っててくれたのかな。このタイミングの良さに少し驚きました。ありがたいです。私のお花、大切に思ってくれて、本当にみんなありがとう。
 この時期、母が居ない事に少しばかり寂しさを覚え……。私の応援団長、どんなものでも無条件に、私の作った物を「一番いい!」と言ってくれた人が傍に居ない事、悲しく思い出しています。何かを作る度に、母に見てもらいたくて。そして、また、「一番いい!」と言ってもらいたくて。  2010年3月3日(水)


今年は自分の母にお花を贈る事が出来ません。母の日にお花が届く―という事の意味を皆さんは考えた事がありますか?。それは母を忘れない子供が家の外に居るという事を意味するのだと私は解釈していました。母の日の朝、母の日の象徴でもあるお花が入った大きな箱を、宅急便の人が届ける姿が実家の玄関先にあるという事、そしてその光景を見守る近所の方のまなざしがある事こそ、私にとって大きな意味のある光景だったのです。家から出た娘はたびたび実家には帰れません私の代わりにお花が玄関のドアを開く…「お母さんのこと忘れていない私が、ちゃんとここに居るよ」そんな主張をこの母の日に必ず行っていたように思います。 
 でもそれも贈る相手が居るから出来た事で、母が亡くなった今はその小さな主張も出来なくなりました。だから、お母さんが元気でいる皆さんは、365分の1のこの日に、お母さんが大好きだという気持ちを伝えましょう。こんないい機会は無いんです。いつでも出来るということの方が、背中を押されないと出来ないものなんです。2010年4月27日(火)


ふと気がつくと、今年に入ってから私は常に何かに一生懸命になって過ごしていた。2月⇒いけばなの展覧会、3月⇒ちぎり絵展覧会30号出品作完成と学業の年度末の追い込み!!!!(かなり辛かった)4月~5月⇒フラメンコ発表会に向けての練習(身体使いまくり)と母の日のギフト発送。6月⇒ちぎり絵展覧会出品作完成と卒論に向けて始動!そしておそらく7月~8月はアート一色になるんだろう。
 6月11日で母が亡くなって一年。死に向かって毎日生きている事を母に教えられた、だからこそ、これから生きていく毎日を一生懸命の積み重ねにしたいと思った。そして、どうせいつか亡くなるのだから、ちっぽけなこだわりひとつさえ一日の終わりに残したくないと思った。毎日を生ききる事が私の哲学。この哲学を持てるようになったら、持っている力がしっかり出せるようになった気がする。死を悲しむのではなく、死から力を頂く。もし、私の命が終わる時、残した人に悲しみを与えるより力を残して亡くなりたいと願う。 6月5日(土)



 出先から帰ってきたら宅急便の不在票が。会社勤めの頃の同僚Fちゃん。?????何だろう。
再度配達してもらったら、どうも弔事の包装らしい。もしかして、やっぱり―。
今日は、実母の命日。昨年の今日亡くなったんです。鳩居堂の漆の箱に入ったお線香【こそめの梅】。さっそく母の写真の前にお線香を焚かせてもらいました。良い香り☆
 実家まで1時間半くらいかかるため、お仏壇を拝む事がなかなか出来ないので、母が亡くなってから簡易的に写真と香立てとお水を自宅でお供えし、この一年仏壇代わりにして手を合わせていました。義父の時にはしなかったパートナーには、とても申し訳なかったけれど、一年こんな状態を付き合ってもらいました。そして前から決めていた、一年経ったら片付けようと。そんな日に合わせてお線香が届き、気持ちの切り替えをつけてくれた。こんな友達が居た事を嬉しく思いました。Fちゃんありがとう!
 身近に母を確認して過ごす時は今日で終わりにしようと思う。これからは心の中で思い出すことにしよう。母はいつも笑顔で傍にいる、そう思う。   6月11日(金) 



そろそろ、お盆仕度を始める時期になりました。これからお盆のお供えセットを買いに市場に行きます。母が亡くなり、今回は2回目のお盆ですので新盆とは違う用意になります。新盆で使う無地のお提灯は一回使ったら焚き上げてもらうものです。2回目からは同じお提灯を毎年使います。お寺で頂いた火を消さずに自宅に持ち帰るためにお提灯を使用します。これをお迎え提灯と呼びますが、土地によってお迎えの方法が異なるようです。今回、お提灯を求めるために田原町(仏具問屋街)に足を運びました。デパートで買うよりもおそらく安いので、ご必要のある方は行ってみたらいいと思います。今後、長く使用するお提灯なので、数件のお店を回って一番しっかりした物を選びました。これから私が細工を施し、妹がお寺から灯を家に持ち帰ることになっています。お盆行事は心が癒されます。 8月2日(月)


おはようございます。朝日が昇る時間です。でも今日は雲が多くてその様子は目では確認できません。今日はお盆初日。極楽に行った人の魂が私たちの世界に下りてくる日。そう、一年前に亡くなった母が傍にいてくれる3日間です。ほんとなのかな。でも、こんな神話を作った昔の人は、とっても優しいな。
 人にとって未知である死は、怖くて体験したくない事だけど、亡くなった後にもこのような魂のストーリーがあれば、死によって分かたれる事の寂しさが、どうにか薄らいでくれるような気がするな。智恵。これはそういうものなんだろう。悲しみという救いようのない感情を、智恵のある人間だからこそ智恵で救う。こういう行為は、日常の暮らしの中にちりばめられている。連綿と繋がれている文化とはこういう形で成り立ったものをいうんじゃないかな。8月13日(金)



備忘録的に、ここに書いておこうと思います。母が亡くなってか5らご縁の出来た薬師寺の山田法胤管主のおことば
【知足は常に富む】
人間の欲望は限りがありません。これ以上心のおもむくまま欲望を満たそうとすると、自然破壊が進み、取り返しのつかない日本になります。古歌に「欲深き 人の心と降る雪は 積もるにつけて 道を忘るる」とあります。徳川家康は「人はただ 身の程を知れ 草の葉の 露も重きは 落つるものかな」と詠んでおられます。
 私は自分の心に不平不満が起こると、五十年前の厳しかった生活を思い出し、今を喜び感謝しています。お互いに私利私欲におぼれることなく、足るを知り、喜びの多い生活をこころがけたいものです。合掌
2011年3月11日(金)



 【唯識】について
唯という言葉には、大変重い意味があります。我々が日常生活の中で外界を見て認識するのは、全て自分の過去に認識した記憶が、見ているものの上に乗るので、識(心)が汚れていれば、外界に在るもの全てを、識で汚したものを見ていることになります。逆に識(心)が浄い認識をしていれば、全てのものが清浄のものとなるのです。過去の体験の認識が一人ひとり異なっているので、同じものを見ても違ったものとして見ていることになります。― 薬師寺山田法胤管主 ―
2011年4月30日(土)



 おはようございます。今日は亡母の三回忌の法事!
 季節が巡ると思い出すいろいろなこと。妹が、こうして行事を繰りかえすごとに、お母さんが遠くなるようで悲しいといったけれど、私は違う。行事は行事。心の中にいる母はいつも同じ。遠くも近くもならない。だから、現実世界でなにがあっても、母は常に変らない。そのまま。そんな感じ。
 人によって、もののとらえ方が違う。位置づけも違う。ひとりひとり自分で自分の世界を作っているんだなと思う。人生はオリジナルだ。決して他人のものを歩いているのではない。
 6月5日(土)



今日は母の命日です!2年前の6月11日、月日の経つのは早いというか、随分長いというか、不思議なものです。とてつもない時間が積み重なって今日に至ったようにも感じます。母は亡くなりましたが、私の心には常に生きており、いつも元気で正しくて誠実で、だから、心の中の母に従って生きていけば間違いはないと信じています。迷った時は、いつも私は母に任せる。自分で無理に考えないで母に任せる。そうすると自然と母が良いように導いてくれる。亡くなってもなお、母は私の最強の応援団長!! 6月11日(土)
by hanatsudoi | 2009-06-22 06:47 | エッセー | Trackback | Comments(0)
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